季刊【圓福】は、盆、正月、彼岸など、季節ごとに発刊されるもので、元々檀家の方や縁のある方にダイレクトメールで送られていたものですが、こちらのホームページでもご紹介させて頂くことといたしました。

 今回ご紹介するのは、【圓福 第51号】です。

随時バックナンバーもご紹介していきたいと思いますので、ご期待ください。

第50号  第49号  第48号  第47号  第46号  第45号  第44号
  第43号  第42号  第41号  第40号  第39号 第38号  第37号
  第36号  第35号  第34号  第33号  第32号  第31号
  第30号  第29号  第28号  第27号

 謹啓 過日の豪雨で、岡崎市は、大きな被害を受けました。地球温暖化のせいでしょうか。自然が大きな警告を与えているように思えてなりません。

 皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。
  さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。

  受け難き人の身を受けながら、むなしく三途(さんず)に帰り給わんことは、  悲しみてもなお、余りあり。

 「多くの生き物の中で、せっかく生まれ難い、人として生まれて来たのに、むなしく死んでしまうことは、悲しんでも余りあることです。」
  私たちは、人として生まれてきたことを、当たり前だと何も考えず、感謝の気持ちもわきません。 そればかりか、日々を、雑事に追われて、自分のことで精一杯です。 本当に世のため人のために充実した毎日を送れているでしょうか。 私自身も、やらなくてはならない仕事があっても、今日は疲れた、明日で良いかと、先延ばしにしてしまい、ついに困ってしまうことが多々あります。 そして、そんなときは、若いときと違って無理がきかないからと、自分に都合が良いように理由を付けてしまいます。 もし、明日、命がないとなれば、むなしい一日を過ごすでしょうか。
  必死という言葉があります。 まさに、言葉の通り、私たちは必ず死を迎えなければなりません。 死にもの狂いでと言うことではなく、この命は永遠ではなく、明日で終わりかも知れないと覚悟して、一生懸命に生きることが大切だと法然さまはおっしゃっています。 その気持ちになるのには、尊い人間として生まれてきたと言うことに気づくことから始まります。 尊い存在にもかかわらず、尊い一生懸命な生き方をしなければ、あの世へと旅立つとき、必ず後悔の涙を流すことになるでしょう。 阿弥陀さまやご先祖様が迎えに来られたとき、胸を張って極楽世界へ帰れるよう、必死の覚悟で、後悔のない尊い毎日を、送りましょう。 そのためにも感謝の気持ちを忘れずに、仏様に向かって念仏致しましょう。
  もう、九月、秋のお彼岸を迎えます。下記の通り、彼岸施餓鬼法要を勤めます。特別ゲストをお迎えして、素晴らしい音楽と民族衣装をまとった舞踏、そして、心込めて昼食もご用意致しております。お誘い合わせ是非、お参り下さい。

合掌

●9月19日(金)  
午前12時00分
・昼食接待
12時30分
・インド音楽と舞踏
午後1時00分
・彼岸施餓鬼法要