季刊【圓福】は、盆、正月、彼岸など、季節ごとに発刊されるもので、元々檀家の方や縁のある方にダイレクトメールで送られていたものですが、こちらのホームページでもご紹介させて頂くことといたしました。

 今回ご紹介するのは、【圓福 第46号】です。

随時バックナンバーもご紹介していきたいと思いますので、ご期待ください。

第45号  第44号  第43号  第42号  第41号  第40号  第39号
第38号  第37号  第36号  第35号  第34号  第33号  第32号
第31号  第30号  第29号  第28号  第27号

拝啓 厳しかった猛暑も朝夕の虫の声に秋の訪れを感じさせる今日この頃です。
皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。
  この度、参道入り口がお参りの方の増加で、何度補修をしても追いつかず、一部、石張り工事を致します。 工事中は、ご不便をおかけ致しますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

 さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。

 世間の営み、ひま無ければこそ、念仏の行をば、修すべけれ。

「日々の生活に追われて、忙しくひまがない毎日だからこそ、お念仏を称えるべきなのです」
  日本のことわざに「慌てる乞食はもらいが少ない」というのがあります。 これと対象に「残り物には福がある」というのもあります。 私たちは、忙しくしているとついつい慌ててしまい、大事なことを忘れて簡単に済まそうとすぐに安易な方向に進みがちです。 そのために、結局損をしたり、かすをつかんでしまい、もっとゆっくり考えて行動したら良かったのにと思うことがあります。 急いだばかりに事故にあったり、いらいらして、ついけんか腰になってしまいます。
  「ひまが無い」ということは、余裕がないということで、ストレスをためてしまったりミスを犯してしまいます。

  ひまが無いほど忙しいというのは良いことの様ですが、まさに、忙しいという字の形のごとく、心が亡びる状態で、大切なことを見失いがちです。 こんな時こそ、お念仏を申しなさいと法然上人はおっしゃっています。 お念仏を称えると、『おかげさま』という感謝が湧いてきます。 私たちは、多くの命に支えられて、生かされています。 念仏は、目に見えない尊い存在や、はかり知れない命に気づく教えです。

  手を合わせ十回の念仏を称えることは、ほんの十秒ほどのことです。 大切な心を無くさず、本来の自分を取り戻し、福をつかむためにも、残り物でいいと思える、心の余裕を、お念仏で身につけましょう。

 下記の通り、秋の彼岸法要を勤めます。祈られ、支えられている毎日に『おかげさま』と感謝の気持ちで、心から先立たれた方々にお参りを致しましょう。

合掌

●9月19日(水)  
正午     
・昼食接待
12時半     
・住職説教
午後1時    
・彼岸施餓鬼法要